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読書を始めて自分は世界の何も知らないことに気づいた話

僕は読書が好きではなかった。大学一年生の4月前までに読んだ本の合計は多分20冊にも満たないだろう。つまり今年で20歳になる僕は1年に1冊しか本を読まなかった。

そもそも僕は国語が大の苦手だった。数学や他の教科の成績はよく、テストもたいてい上位に入っていた。しかし国語だけは壊滅的だった。漢字ではない、文章を読み書きすることがダメだったのだ。

国語のテストでは作者の意図や下線部から推測されることの選択肢問題をいつも間違えていた。理由は単純、理解ができないからだ。作者の意図が全くわからない、下線部から何が読み取れるのかも全くわからない。

こういった理由もあって、読書は全くしなかった。活字を読むとしてもニュースやtwitterなどの媒体だけだった。まともに「本」を読もうとさえしなかった。

しかし4月に緊急事態宣言が発令されてから読書に関心を持ち始めた。今考えると理由はわからないが、多分その頃は「意識高い」ことをやってみたかったんだろう。

だが、読書が今までの19年の中で最高の経験だと気づいたのに時間はかからなかった。

 

読書を始めてわかったこと

 

1:読書とは自分が認識できる範囲を広げてくれる最高の投資

読書を始めて最初に気づいたことは読書とは世界の素晴らしさを知る最高の方法であるということだ。

活版印刷が発明されて以来、今までに何十億もの本が発売されている。その一つ一つに作者が伝えたい世界の素晴らしさが隅々まで示されている。経済、化学、政治、カルチャー、文学といったあらゆるジャンルが世界を描いているだろう。

本は作者が途方もない時間をかけて綿密に精巧に仕上げたものだ。一朝一夕でできる代物ではない。この果てしない努力によって生み出された情報には必ず価値がある。

そして読書をすることでそれらに触れ、自分の知っている世界を広げてくれる。読書を通して知っていることを深掘りしたり、自分の知らなかったことを知ったり、知っていることと知らなかったことを結びつけたりする。

これほど簡単に世界を知る方法はないだろう。そう確信した。

僕はまずはじめに「影響力の武器」という本を読んだ。

圧倒された。

今まで自分の周りに起こる現象を心理学や脳科学というフィルターを通して見ることはなかった。だからその分そういった学問を通して世界を見ることができるのか、という感動に浸った。こういった経験は初めてだった。

それから読書にどっぷり浸かった。心理学だけではなく他の学問にも触れてみたかった。金融を始め、社会学、生物学、哲学、国際関係学までさまざまなジャンルを読み漁った。そしてまた感銘を受けた。

読書をして感じるのは自分の認識できる範囲が少しずつ広がっているという感覚だ。例えるなら能力地のグラフが徐々に広がっていくイメージに等しい。

読書はジャンルを問わずこの能力値を広げてくれる。読めば読むほど能力を高めてくれる。未知のジャンルを読めば新しい能力が追加され、能力の幅が広がる。読書は人の能力の幅と深さを促進させる最高の武器だ

2:知らないと言うことを知らないこと罪

これは最近になって気づいたことだ。先述した様に自分の知っている世界はミジンコよりも小さい。だからこそ読書を通してその幅と深さを広げていくのだ。

しかし読書をしていない人はどうだろうか?そもそも自分の知っている世界は小さいということに気づくことができるだろうか?答えはNOだと思う

自分が知っている世界は狭いと気づいた人はそこから努力をする。読書や勉強を通して、自分の知っている世界を広げようと必死になる。しかしまだ足りない、だからもっと努力をする。こういって人は成長していく。

だがそれ自体気づいていない人はどうだろうか?僕の周りからわかるのはその世界で満足しているということだ。知らないことを知らないから世界を広げようとしない。読書をして世界を学ぼうとしないからそのままの能力値で居続ける。こんなに虚しいことはないと思う。

現に日本人の大学生の平均読書時間を見て欲しい。

第55回学生生活実態調査 概要報告

上の図にある青い線は1日の読書時間が0分の大学生の割合を示している。48.1%と約半分の大学生が読書をしていない

正直驚いた。読書で人生が大きく変わった僕だから思うことだが、読書をしないことは人生を100%損している。

なぜ読書をしないでいられるのか。知らないことを知る、それを克服しようと読書をする、そこで人は始めて成長する。このプロセスが人生にどんなに大きな影響を与えるのか今一度考えて欲しい。

3:言葉にできることの素晴らしさ

言葉とは人が他の人にメッセージを伝えるための最適な手段である。言葉が存在しているから文明は発展していった。言葉によって文化、価値観、伝統が継承・踏襲され、今の文明が存在する。

これは人との対話や自分の触れることのできない抽象(感情や情緒)を具現化することにも使われる。感想、描写、情景などを適切な言葉にして始めて相手に伝えることができる。

逆に適切な言葉が思いつかないと相手に伝えることや表現することすらできない。つまりどんなに美しい現象でも言葉にできなければイメージとしてしか捉えることができないということだ。

人との対話では言葉による表現が大きな要因になる。自分が思っていることを確実に翻訳することで相手に伝えることができる。

しかしその言葉を知らなければコミュニケーションどころではない。適切に表現することができなければ、的確に何が言いたいのかを伝えることができない。頭にあるナニかを言葉に変える、このプロセスが大事なのだ。

僕を含め、現代人はこのプロセスが劣化している。その結果卍・やばいなどの抽象的な言葉を頻繁に使うようになる。それでコミュニケーションは成り立つが、ピンポイントで表現することはできない。

逆に現象を理解することもできない。何かを経験をした感想が「面白かった」で片付けたくない。何がどのように面白かったのか、そこから自分は何を学んだのか、どのように感じたのか、具体的に示したい。

読書は「言葉に変えるプロセス」を教えてくれる最高の教材である。小説は人の感情、景色の描写、描かれる人間模様をさまざまな言葉を使って表している。実学書は身の周りの現象や概念をわかりやすく砕いている。

読書を通じて人は現象を理解し表現することができる、と僕は感じた。

4:読書をする人が少ないから希少価値が上がる

2のグラフに示されているように、半分の学生は読書をしない。僕を含め学生はSNSやスマホにどっぷり浸かっている。スマホほど中毒性の高いものは存在しないと思う。

高度情報化の到来によって膨大な量の情報が日々生産されていく。1日でもスマホから離れると数年遅れを取ったと感じるくらい流動性が激しい。

しかしこの膨大な量の情報がある時代だからこそ読書を勧めたい。誰かわからない人が書いた薄っぺらい情報よりも、偉大な学者や経営者、作家が何年もかけて作り上げた作品を吸収する方がいかに効果的か。

読書という経験を通して得られるものはすごく多い。これほどリターンの大きいことはないと思う。しかし多くの学生は行わない。だからこそ読書をすることで周りに数歩先のアドバンテージを得ることができる。

結論

結論、読書をしよう。カテゴリーはなんでもいい。まずは自分が興味のあるやつから読めばいい。自分が悩んでいることや、ちょっと関心があることを数行読んでみよう。それで一つや二つは何か学びを得ることができるはずだ。

完読何てしなくていい。読書ができない理由は完読しようと思っているから。僕も初めはそうだった。しかし完璧主義にならなくてもいい。一冊から3つ教訓を見つければもうそれで完読だと思う。

まずは1冊、読み終わったら次、そしてまた次。こうやって読書を続けていくときっと自分の周りの日常が少し変わって見えるだろう。

捉えることができなかったこと(多分そのことすらも知らなかったと思うが)が捉えられようになったりする。言葉にできなかったモヤモヤが的確に表せる様になったりする。自分は世界を何にもわかっちゃいないと気づいたらりする。

そうやって人は成長していく。

だから読書をしよう。

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