ICU 学生生活 考える・語る

自粛でキャンパスライフとは何かを考えた

2020年4月早々に大学一年生である自分の希望はトラックにでもぶつかったかのように緊急事態宣言によって打ちのめされた。

自分は東京の私大に合格し、念願のキャンパスライフがいよいよ始まろうとしていた。地球の裏側にいても心が通じ合う友達、自分のアイデンティティーを形成していく部活やサークル、素敵な教師との出会い、「エモい」ということはなんなのかを教えてくれる恋人、などなど。

さぁ、どうしたものか。緊急事態宣言が発令され、瞬く間に大学の授業体制が変わってしまった。対面授業がオンラインに代わり、大学生で一番食費が浮くとされる新歓が無くなり、新しい出会いなんてありゃしない。

自分は愕然とした。あれだけこれからの大学生活を豊かにしていこう、「キャンパスライフ」を楽しんでいこうと公言していたのに、これでは何も達成できないではないか。

自分が思い描いていた理想図が火炎放射器にぶっ放され跡形もなく消え去っていった。

そして1月初旬、再び緊急事態宣言が発令された。

1回目の緊急事態宣言が明け、学校の授業や課外活動が再開されてから、自分はなんとなくキャンパスライフ的な学校生活を送っていたと思う。

一緒に外食するような友達ができ、部活でも一年生ながら主戦力として活躍し、アクティブに行動していった。勉強も疎かにせず、中の上くらいは取っていた。もちろん彼女はできていない。

しかし2回目の緊急事態宣言が発令され、今までのキャンパスライフがパタンと幕を閉じた。それはあっけなくまた自分を暗闇の中へ引きずり戻して行った。

ところで、理想のキャンパスライフとはなんだろう。理想の彼女を手に入れることだろうか、一生の友達を手に入れることだろうか、メンターを手に入れることだろうか、資格を取り就職に有利になることだろうか。

個人的には全てが正解だと思うし、正義の定義は人それぞれだと思う。

しかしその前にキャンパスライフを成立させる基盤が必要であって、それがあって初めて「キャンパスライフ」を送ることができると思い始めた。

それは自分を見つめ直すということである。

人にはそれぞれ特有の価値観や絶対領域的なものが存在し、それを基盤に動いている。この価値観とは要するに何が「快」と感じ、何が「不快」と感じかという基準になるものだ。

例を上げるとパリピな人は人と交流すること、遊びに行くこと、恋をすることが「快」と感じるし、同時に孤独に作業することを「不快」と感じる。

「理想のキャンパスライフ」と検索するといろんなリストが出てくる。しかしそれらが全部当てはまるわけではないし、全部試す必要もないと思う。

一匹狼は恋人や友達なんて作んなくていいし、一人で暗躍した方が絶対に「快」と感じるだろう。逆にパリピは勉学なんて頑張らずにどんちゃん騒ぎをして二度と来ない夜とその月を見ながら思いを馳せた方が断然楽しいに決まっている。僕も一回くらいやってみたいと思う。

確かに新しいことに挑戦することは大切なことだ。未知の世界に一歩踏み出すことで一回り成長することだってある。ただ明らかに「不快」と感じるものを無理にしない方がいいと思う。

ゴールキーパーがオーバーヘッドを習得しようとしたところでなんの意味がある?だったら反射神経とか腕を1センチでもいいから伸ばす練習とかした方が有利だ。

ということで自分はこうしてブログを書いて自分が何に「快」・「不快」と感じるのかを見つけ出そうとしている。

まだ見つかっていない。

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